東アジア討論室 221891


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騎馬民族説の今

1:p君 :

2025/07/02 (Wed) 21:43:07

https://bbs1.fc2bbs.net//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1751460188.jpg かつて東大名誉教授の江上 波夫さんが唱えた騎馬民族説ですが、江上さんがその考古学的根拠とされていた半島南部の金海大成洞古墳について、久しぶりに調べるととんでもないことになっていました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B5%B7%E5%A4%A7%E6%88%90%E6%B4%9E%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E7%BE%A4

被葬者とDNA解析
2022年、韓国ゲノミクスセンター、蔚山国立化学技術研究所などの協力を得て、オーストリアのウィーン大学が行った研究"Northeastern Asian and Jomon-related genetic structure in the Three Kingdoms period of Gimhae, Korea(『韓国金海の三王国時代における東北アジアと縄文人に関連する遺伝子解析』)"では、朝鮮半島南部金海市に位置する大成洞古墳の伽耶王の王陵[3]から出土した被葬者の人骨を検査したところ、墓主が縄文系のY染色体ハプログループであるD-M116.1(D1a2a1)に属し、殉葬者が現在の韓国人に多く(2割弱)みられるハプログループO-CTS723(O1b2a1a2a1)のサブグレードであるハプログループO-PH40(O1b2a1a2a1b1)に属す男性であることが判明した[4]。
関連して大韓民国釜山広域市江西区の加徳島にある獐項遺跡からは、伽耶と同様にD-116.1(D1a2a1)のY染色体を持つ縄文系の人骨[5]が出土している[6]。獐項遺跡からは日本産翡翠の装身具をはじめ48体の人骨が出土し、科学分析が可能であったのは17体で、うち1体からはヨーロッパ系の母系とも共通するミトコンドリアDNAのハプログループHが検出されている[7][8]。
ーーーーーーーーーーーー

伽耶王は縄文系で、在地人を従えてたのでしょうか。
そうすると大成洞古墳の地下式木槨墓は縄文系なのか。
私は、大成洞古墳については、地下深く穴を掘ることから、粛慎(みしはせ)ではないかと思っていましたが、さっぱり分かりません。
21:当世奇妙 :

2025/08/21 (Thu) 08:29:21

AIの情報収集は偏りがあり、要注意です。情報源の中の文章の注の部分は多くの場合集められないように思われます。また質問者の意向に沿ったような(迎合するような)回答を寄せがちです。同じ課題で真逆の質問二つすると、異なる回答:質問の意図を組んだ回答をします。また収集情報源が限られて奇妙な回答をした場合、問題を指摘すると、素直にあやまる場合と同じ回答をしつこく主張する場合があります。必要な情報源を教えるとようやく回答変更して認めますが、それでも前の誤回答に関係する内容をずらして回答してきます。こちらが分析して欲しい情報を明確にして聞くと良い回答(私が良いと思う回答)を出します。検討する場合は情報源を聞くと良いです。皆素直に情報源を記しますが、トンデモ説や素人のあやしげなNET情報がかなり入っています。私は4つの生成AIに質問して、その違いを分析して、自分なりの見解を考えるようにしています。Copilot,ChatGPT,Claude,Geminiです。無料版です。
お邪魔しました。騎馬民族説期待しています!

20:p君 :

2025/08/20 (Wed) 20:20:57

甲斐と蝦夷の関係をAIに聞くと、



近年の遺伝的研究や考古学的発見では、縄文系のDNA(D1a2a1など)を持つ北方系民族が朝鮮半島南部に渡来していたという説もあり、蝦夷やアイヌと甲斐の間接的な文化的接点が議論されています。



ーーーーーーーーーーーーーー



いやそれ今私が言ったわけで、

それもさっき書き込んだばかりなんですが、

AIはあっという間にネットから拾い上げますね。

19:p君 :

2025/08/20 (Wed) 19:54:54

石見介さん、当世さん、書き込みありがとうございます。



一昔前なら、騎馬民族説と、蝦夷あるいはアイヌはほぼ関係がなかったであろうし、

そういう話をすればスレ違いと言われたであろうに、

今こうして、騎馬民族スレで蝦夷やアイヌの話になるのは、

金海大成洞古墳の伽耶王のY-DNAがD-M116.1(D1a2a1)という縄文系であったという驚くべき結果があるわけで、

私なりにこれをどう解釈すればいいか、今のところの結論は、北方民族化した蝦夷・アイヌが南下して伽耶王となっていたという事しか考えられません。



その北方民族とは、江上さんや申敬澈教授のいう「扶余」であったかもしれないし、

その扶余は粛慎(あるいはニヴフ)と接点があり、その文化を受容してたのかもしれないし、

そういえば、この日本列島では倭人より蝦夷の方が騎馬民族化が早かったのではないかと思われるのは、

山梨の塩部遺跡は4世紀代の馬の痕跡がありますし、

甲斐の国、甲斐と蝦夷の関係はかなり深いと思われますし、

山梨の横根・桜井積石塚古墳群という遺跡は渡来系とも蝦夷系とも言われてましたから、

これ、「渡来系蝦夷」なら大変うまく説明できそうです。w
18:当世奇妙 :

2025/08/17 (Sun) 11:45:46

石見介さん
ありがとうございます。
「蝦夷」は大和中央政権の言葉、私はそう呼ばれていた人と言う意味で「エミシ」を使ってます。我々こそは本来の日本列島人と言う気持ちです。トランプは移民排除してますが、トランプも移民の末裔ですね。
縄文人は列島各地で色々異なっていた可能性ありますが、北東北から北海道南部は円筒土器文化でほぼ同じ縄文人だったと思っています。今度世界遺産になった縄文人達です。
17:石見介:

2025/08/16 (Sat) 21:41:27

 当世奇妙さん

 横レス失礼します。
 「蝦夷」は、「漢字表記」なので、上代日本語や、それ以前の古代日本語、平安時代以降の日本語での語義や語感を考える際には、日本固有語、俗にいう「大和言葉」で解釈し、漢字表記は、基本的に「当て字」に過ぎないと考えるべき時代と、漢字仮名混じりの文体が確立し、書字言語として、漢字の語義を理解した時代とで、大きく語義-語感が、変化していると考えられます。

 「エミシ」や「ヱビス」には、必ずしも、蔑視の語感は無く、中央政権や倭人側から見て、「異種族」をその自称や一人称等を、意味する語彙だったと思われます。現に「エビス」は、七福神とされ、神社で、現代でも、祭られています。

 「エミシ」は、「神武紀」では、「愛〈シ彌〉詩」と音写され、久米歌等で、勇敢な武人的種族として、描かれています。畿内大和の先住者です。
 次いで「毛人」という、身体的特徴を表わすと思われる漢字表記が使用されますが、読みは「エミシ」のままです。「エ」は、ヤ行音から、ア行音へ移行したか、方言差が存在したか、微妙ですが、私は、上代日本語東国方言には、更に3種類の方言が存在したとする日野資成氏の説から考えて、それ以上似たような方言が存在したのではないかと考えています。
 「エミシ」が「entiu」のような語彙の音写だとすれば、emisi,yebisu,ezo<etso等の語形も、鼻子音n,m,bの交代、サ行音s、∫、ts、t∫、とタ行音tの交替、清濁の交替等で、説明可能です。
 大和政権の豪族が、蘇我蝦夷、佐伯今毛人のように、「エミシ」を名としていたのであれば,蔑称ではありません。

 中世以降、「エミシ」から「エゾ」に代わったころから、蔑称化したと思われます。漢字表記も、「毛人」から「蝦夷」に変化した時期と、おそらく重なるかもしれません
 アイヌのY-DNAは、Y-D1a2が多数で、これにオホーツク文化人からの流入と思われるY-C系が、加わります。
 しかし、現代日本人男性の最多Y-DNAは、縄文系のY-D1a2系で,40%以上であり、天皇家も、公表されていませんが、この系統だと考えられています。
 このことから、渡来系弥生人流入後、縄文人、特に西日本の縄文人は、自発的に、言語を置換し、弥生人化したと思われます。
 水田の遺跡が、早期に東北地方まで拡散するのも、縄文時代以来の九州から東北までの交流の歴史が、存在したからでしょう。鳥取県の青谷上寺地遺跡の状況も、縄文系の男性が、渡来系の女性と通婚していた状況を、物語っています。

最終編集:8月17日20時、
16:当世奇妙 :

2025/08/15 (Fri) 15:24:29

P君さん
蝦夷論ありがとうございます。
私の日本人の歴史解釈ですが、
「蝦夷」と言う表現は、そう呼ばれた人々が自ら名乗った表現ではないですね。東国・東日本地域(関東・東北)で、中央政府・大和朝廷の支配が及ばない地域に住んでいた人々を、中央政府がそのように呼んでいただけ。大和朝廷の勢力範囲が関東へ更に東北南部に広がり、北東北のみが「エミシ」の領域となります。頼朝の奥州合戦(1189,12世紀)で北東北も鎌倉幕府の支配下になり、「蝦夷」は北海道のみになり「蝦夷;エゾ」と呼ばれるようになったと考えています。
およそ1万6千年まえ、日本列島の沖縄から北海道までのほとんどに縄文人が住んでいました。日本列島の
原住民です。しかし紀元前7~800年??弥生人が九州北部に入り込み、北九州から東海地方までに拡大しました。沖縄・南九州 関東・東北・北海道には
縄文系の人々が住んでいました。琉球王国がなくなったのは明治12年です。北海道のアイヌは今も健在です。北東北は平泉藤原氏の時代迄縄文人の流れを強く組む「エミシ」が住んでいました(南北からの文化・人種の混入が有り、グレーゾーンと呼ばれていますが)。アイヌは北海道の縄文人が続縄文・擦文と変化するなかでオホーツク文化の影響を受け、13世紀ごろにアイヌ文化が成立したと考える。北東北「エミシ」が関東人に吸収された後の話です。東北に残るアイヌ語とは、本来は縄文人の言葉で「エミシ」が継承していたと考えます。アイヌ語と言われている単語は私が子供の時代には秋田県大館市では日常語としてかなり使われていました。
15:p君 :

2025/08/14 (Thu) 18:44:20

当世さん

私の考える蝦夷ですが、前記の北海道礼文島の船泊遺跡の南方習俗の縄文人骨はアイヌの祖ではないかと思っています。

古代からアイヌは毛人とも呼ばれ、毛深いという身体的特徴は寒冷地では毛穴が凍って血みどろになる致命傷らしく、
北方民族がことごとく毛の薄いツルンとした身体的特徴であることからも、
またアイヌと同じ縄文系Y-DNAのハプロDがアンダマン諸島に色濃く残ることからも、アイヌは南方系であると思っています。


時代が下り、4世紀には福島の会津地域に前方後円墳ができますが、そこが大和朝廷の支配地の北限だと思ってまして、

それ以北の地域、今の青森、秋田、岩手ですね、またそこに住んでた人たちこそが、先住アイヌ民族を含め、総じて「蝦夷」だと思っています。

そして今のところ、銅鐸の北限が栃木県小山市でありますが、私は福島の会津まで銅鐸文化はあったと推測しています。

銅鐸とは平たく言うとイズモの祭器であり、銅鐸祭祀のイズモ人が、会津まで来た大和朝廷軍から逃避、今の青森、岩手、秋田に来たものと考えてます。松本清張でおなじみの東北弁と出雲弁の類似はそういう事ではなかったかと考えてます。
14:石見介:

2025/08/14 (Thu) 17:39:27

 p君さん

 アイヌ他、北方の少数民族については、私も昔、何冊か関連の書籍を読んだことがあります。mtDNAについてのデータの記憶はありませんが、データが出ていたことは承知しています。生成AIは、現状私は使いこなせません。何しろまともにDisplayが見えないので、使用法が読めませんから。
 いくつか、記憶頼りで、コメントさせていただきます。

①アイヌとギリヤーク(ニヴフ)及びオロチョン(ウイルタ)との関連について

 アイヌは基本的に、縄文人の末裔と考えられ、縄文文化は、先島諸島を除く、日本列島のみに分布し、朝鮮半島や樺太島には認められないとされています。
 しかし、アイヌ民族は、北海道、千島、樺太に分布し、「樺太アイヌ」と「千島アイヌ」が、かつて確認されています。樺太アイヌは、言語学的に、道北のアイヌよりも、道南のアイヌに近い方言なので、道南から南樺太へ移住したと考えられ、その時期も、奥州藤原氏の滅亡以降の可能性が、高いようです。

 有名な「北の元寇」という話では、「吉里迷」という沿海州方面の種族が、「骨嵬」という種族に攻められ,元は、吉里迷の救援要請に応じて、沿海州方面に派兵し、骨嵬を樺太島に追い払った、とされています。この「吉里迷」がギリヤーク族、即ち現在のニヴフ族で、骨嵬は樺太アイヌだとされています。
 私が立ち読みした「北の元寇」についての本の著者は、更に樺太アイヌが鎌倉幕府の「蝦夷管領」安東氏の支配下にあり、樺太から沿海州まで、アイヌを指揮して、攻め込んだと想像していましたが、私は、流石に、それはあり得ないだろう、と考えています。

 後代の『諏訪大明神絵詞』では、蝦夷を、「日の本」「渡党」「唐子」の3種に分類しています。「日の本」は、下北半島辺りとも考えられ、「渡党」は、奥州藤原氏の支配下にあった人々で、渡島半島から後志、胆振辺りに移住した人々で、蝦夷地の倭人化の尖兵とも考えられ、カラコ(唐子)は、純粋なアイヌ民族だとする説もあります。「ワタリ党」は、道南のアイヌの叛乱(コシャマイン)で、大打撃を受けたと思われます。彼らは、日本語とアイヌ語のバイリンガルだったのではないかと、私は、想像しています。

②オホーツク文化について
 これは、ツングース系の海獣狩りの漁撈民の文化が、北方より北海道に流入したものであり、アイヌ民族のY-DNAハプロタイプでは、Y-C系(旧Y-C3)要素だと思われます。おそらく、オロチョン(ウイルタ)族と同族だったのでしょう。
 戦前日本領だった南樺太のウイルタ族とニヴフ族の人々のかなりの人々が、戦後日本に移住し、日本国籍を保持し、北海道では、「オロチョンの火祭り」が、観光資源になっていました。
 ウイルタやニヴフは、ソヴィエト連邦時代になってからの民族名であり、日本側では、特に彼らの希望がない限り、オロチョンやギリヤークと呼ぶべきだと思われます。

③「環日本海諸語」について
日本言語学会の会長を務めた事のある言語学者松本克己氏は、日本語の起源・系統論についても、「類型論」の観点から、発言されています。
 当初は、地理的類型論であり、「環日本海地域」の諸言語が、文法や語彙の一部について、類似する事に注目され、日本語、朝鮮語、アイヌ語、ニヴフ語や、沿海州のツングース系の諸語などが、比較されていましたが、やがて、「遺伝子」特に、Y-DNAハプログループに注目され、遺伝子類型論として、「環日本海諸語」を唱え、環日本海諸語は、Y-O1b2(旧O2b)として、捉えられると、主張するようになります。
 このハプログループは、朝鮮半島、日本列島、樺太、沿海州、満州に分布し、それなりの高頻度ですが、言語との関連では、朝鮮語、日本語、ニヴフ語及びツングース系の諸言語を母語とする諸民族になります。
 松本氏は,Y-O1b2が、日本列島に、「1万2千年前」に入ったとしており、何らかの根拠があると思われますが、私には、確認出来ませんでした。
 Y-O1b2は、渡来系弥生人のY-DNAと考えられるので、3500年前以降に、日本列島に入ったと、私は、考えています。
 ニヴフ族には、沿海州や樺太で、ツングース系との接触で、遺伝子が流入したと、考えれば、説明可能です。

 語彙面では、「rabbit(兎)」が、朝鮮語を除く、日本語、アイヌ語、ニヴフ語で類似しているのは、以前から、私も気になっていました。 松本氏が触れていたかは、記憶していませんが、中本正智氏や徐廷範、田村すず子氏等の著書から、語彙の類似が、印象に残っています。
 所謂、高句麗語「烏斯含」osagam
 日本語「ウサギ」usagi
 上代日本語東国方言「ヲサギ」wosagi
 ニヴフ語,osk
 アイヌ語(沙流方言?)「オシュケ」osyuke
Cf朝鮮語「訥祇」tokki?
 朝鮮語形は、漢語「兎」に、指小辞kiが接続した語のように思われ、他言語の語彙とは、明瞭に相違します。高句麗語とされる語彙は、旧高句麗領の地名から復元された語彙ですが、現在は、日琉語族の言語の遺残と考えられています。

 これら「rabbit」を意味する語彙からは、確かに、日本語、アイヌ語、ニヴフ語に、共通の語彙が存在した可能性を、示唆します。
 イェーガーは、計量言語学的に、多数の語彙の比較で、日本語、アイヌ語と、オーストロアジア(南アジア)語族が、一つの大きな群を為すと、主張しています。
 私は、南アジア語族に属する人々のY-DNAが、Y-O1b1を主とし、かなりの頻度で,Y-O1b2も存在するので、日琉語族は、南アジア語族系のY-O1b2集団が、所謂アルタイ語族と接触し、「アルタイ化」されて、成立した、と考えています。

 尚、長田俊樹氏編著中に、アイヌ語が、類型論的に、台湾先住民、沿海州のウリチ語(ツングース系)、や樺太のニヴフ語、北米亜鉛住民の諸言語などとの類似が見られるが、最も一致点が多いのは、北米先住民の言語だとする論考があったと記憶しています。

最終編集:8月17時12時

13:当世奇妙 :

2025/08/14 (Thu) 08:18:32

P君さん
本論と外れて申し訳ありませんがこのスレッドでP君さんが言う「蝦夷」はどのような定義ですか?
12:p君 :

2025/08/13 (Wed) 19:25:18

>一部のアイヌはニヴフの氏族に参入し、逆にニヴフの文化要素を取り入れて生活していた例もあります。


これではないかと思っています。


北海道の礼文島の船泊遺跡から南方文化を伴う縄文人骨が見つかっていますので、

これがアイヌの原型であり、彼らはさらに北方に渡ったのではないかと考えます。


さらにAIに聞いてみました。


Q:粛慎とニヴフは関係があるか?



はい、粛慎(みしはせ/あしはせ)とニヴフ民族には一定の関係があるとする説がありますが、学術的にはまだ議論の余地があるテーマです。

・粛慎とは何者か?
『日本書紀』や『続日本紀』に登場する北方の異民族で、6〜7世紀頃に日本列島に来訪した記録があります。
粛慎は中国の古代文献にも登場し、ツングース系民族とされることがありますが、日本の粛慎と同一かどうかは不明です。
粛慎は、蝦夷やオホーツク文化人と同一視されることもあり、北海道や樺太に関係する民族と考えられています。


ニヴフとの関係性

一部の研究者(例:瀬川拓郎氏)は、粛慎=オホーツク文化人=ニヴフ民族とする説を提唱しています。
オホーツク文化は3世紀〜13世紀にかけて北海道北部や樺太に広がった文化で、ニヴフの祖先とされる人々が関与していた可能性があります。
奥尻島や礼文島などの遺跡から、粛慎の渡来とオホーツク文化の痕跡が結びつけられることもあります。


注意点と異論

粛慎=ニヴフとする説には慎重な見方もあります。例えば、粛慎が冬季に流氷を越えて航行できたかどうかなど、実際の移動能力に疑問を呈する意見もあります。
また、粛慎が交易品として「羽」を持っていたという記述から、文化的な違いも指摘されています。



結論

粛慎とニヴフには文化的・地理的な接点があると考えられますが、完全に同一民族であると断定するには証拠が不十分です。粛慎は、ニヴフを含む北方民族の総称的な存在だった可能性もあります。
11:p君 :

2025/08/13 (Wed) 18:53:10

石見介さん、ありがとうございます。

今度の大成洞古墳の王がハプログループDという縄文系であり、殉葬者がハプログループOという在地系であるという結果に、少し思い当たることがあり、

AIのCopilot に聞いてみました。



Q:アイヌ民族のミトコンドリアは北方のニヴフと共通しているか?



A:はい、アイヌ民族とニヴフ民族のミトコンドリアDNA(mtDNA)には共通点があることが、遺伝学的な研究から示唆されています。
ハプログループYの共通性
ハプログループY(mtDNA) は母系を辿る遺伝的系統で、寒冷地に適応した北方民族に多く見られるものです。
このハプログループYは、以下のような割合で各民族に見られます:
民族名ハプログループYの割合ニヴフ66%アイヌ19%ウルチ43%ナナイ40%ネギダール21%

この表からも分かるように、ニヴフが最も高い割合でハプログループYを持っており、アイヌにも一定の割合で見られます。これは両民族が北方アジアの寒冷地に適応した共通の祖先を持つ可能性を示唆しています。

文化的・歴史的背景
サハリンやアムール川流域では、アイヌとニヴフの間に通婚や文化交流があったことが記録されています。
一部のアイヌはニヴフの氏族に参入し、逆にニヴフの文化要素を取り入れて生活していた例もあります。
こうした交流は、遺伝的な混合やミトコンドリアDNAの共有にも影響を与えた可能性があります。

考察
アイヌとニヴフの間には、文化的な接触だけでなく、遺伝的にも一定の共通性があることが分かります。特にハプログループYの存在は、両民族が北方アジアの古代集団と深く関係していることを示しており、寒冷地適応の痕跡とも言えるでしょう。


10:石見介:

2025/08/08 (Fri) 22:18:28

 p君さん

 7月5日ご投稿のコメントへの遅レスです。
 申叔舟についてのご情報、有難うございました。
 唯、私の見た申氏のY-DNAハプログループ情報は、韓国人に特化しており、「有名人のハプログループ」や「王家のハプログループ」では無かったと記憶しています。「有名人のハプログループ」にも、一部民族別の表示があるので、それかと思ったのですが、Koreansについては、項目が見当たりませんでした。視力障害が進行しているので、見落としたのかも知れませんが、記憶では、韓国語のサイトを経由していたように思います。


 さて、申叔舟の属した、高霊申氏が、昔のY-O2b1a、現在のY-O1b2a1aである事は、確実だと思われます。半島では、中国に習い、それ以上に、「宗族制」という父系制氏族の伝統を、支配層は守ってきました。娘しかいない場合、葬儀などでも喪主は、弟や兄弟の息子(甥)が務めるなど、中国以上に厳格でした。
 とは言っても、当然時代差はありますが。 
 「族譜」を管理する宗家に、賄賂を払って、下層から成りあがった家の者が、自家の数代前の祖先の名を、そっと付け加えて貰う、と言う話は、有名です。
 従って、先祖が、多数の兄弟中、末弟だったり、妾腹だったりする場合は、実際に、その氏族出自かは、疑う必要があるそうです。
 半島は、姓氏の数が少なく、その為、本貫地が異なれば、同姓でも、多くは男系の共通祖先は存在しないとされています。
 本来、李氏朝鮮時代、支配層の両班は、李氏朝鮮末期には、人口の一割程度だったとされていますが、30年前ごろの韓国では、3割に増加しています。
 朝鮮戦争後、被差別民の白丁は、激減して、差別もなくなったと言う話を聞いたことがあります。

 さて、高霊は、記紀で言う「意富加羅」、『三国志』で言う「弁辰彌烏邪馬国」の地に、比定されます。大伽耶山のある地でもあり、私は、「彌烏邪馬」を「御倭山」と解していますが、いずれにしろ、日琉語族、倭人の長く存在した地域でしょう。


 ハングルとカタカナの類似があり、申叔舟がカタカナを知悉していたことから、カタカナがハングルの創出のヒントになった事は、間違いないと思われます。 
 世宗は、応永の外寇で、対馬を侵略していますが、或いは、その時に彼自身がカタカナや、日本の漢字仮名混じり文を直接見聞して、「訓民正音」を、着想したのかも知れません。遠征軍は、当然ながら、寺社や富豪など、略奪します。
 まして、敗戦したのであれば、将帥は、刑罰を免れる為、何らかの価値ある戦利品を差し出す必要があります。世宗の好みを知っていれば、日本の漢字仮名混じりの文書や、カタカナや五十音表なども、上納されたでしょう。
 「訓民正音」は、応永の外寇より数十年後に制定されています。

 
9:p君 :

2025/07/05 (Sat) 22:47:06

挹婁(ゆうろう、拼音: Yìlóu)は、後漢から五胡十六国時代(1世紀から4世紀)にかけて、外満洲付近に存在したとされる民族。

歴史
古の粛慎(しゅくしん)の末裔とされ、魏代・晋代でもそのまま粛慎と呼ばれ続けた。


「地下に縦穴(竪穴)」
挹婁の生活スタイルは、その東夷諸国のなかでは極めて特異である。まず、挹婁人は地上に家を建てず、地下に縦穴(竪穴)を掘り生活する。竪穴は深く(梯子の段数が多く)かつ大きいほど尊ばれたという。住居を地中に構えたのは、防寒の為と考えられている。さらに、部屋の中央に置いた尿を溜めた容器を囲んで暮らし、その人尿で手や顔を洗ったという。尿に含まれるアンモニアは弱アルカリ性のために皮脂汚れを落とす効果があり、古代ローマでは回収した尿で洗濯する業者がいたことが現代では知られているが、当時の中国大陸ではそのような習俗はなく、『三国志』や『後漢書』では「その人々不潔」、「その人々臭穢不潔」とあらわしている。

最近朝鮮事情 荒川五郎 1906年(明治39年)
更に驚くべく信じがたい程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなると言うている。又小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効だと言ってこれを用い、又強壮剤だと言って無病のものでも飲んでいる。いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすというとも聞いている。何と驚かしいことでは無いか。
塵やゴミがばらけてようが、物が腐って臭かろうが、食い物には蠅がたかって汚しても、更に何とも思わないで、年中風呂に入るの、湯を使うのいうことは無い。
小便壺は大抵室の中に置いてあって、大人でも子供でも、客の前であろうが、誰が居ても構わずジャアジャアと小便する。又その小便器を口の側に持って寄せて唾を吐き込む。彼らは久しい慣習で、別に何とも思わぬらしいが、日本人の眼から見れば如何にも見苦しい、たまったもので無い。
8:p君 :

2025/07/05 (Sat) 19:05:41

石見介さん、これですね。
【有名人のハプログループ】
https://famousdna.wiki.fc2cn.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93O1b2a1a%E7%B3%BB%E7%B5%B1

どうやら日系のようですね。

申叔舟(実質上のハングルの作者の一人)
朝鮮・世宗の時代、『訓民正音』の創製に貢献し、博学で日本や琉球の地理・歴史・官職・社会制度にも詳しく『海東諸國紀』を著した申叔舟(1417-1475)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である(注1)。これは、宜寧申氏の子孫・トニー・シン(Tony Shin)ら複数名(注7)から得られたデータに基づくものである(注2)(注3)。
O1b2a1a1(O‐CTS10145,CTS11723)系統は、朝鮮半島では少なく、日本列島に多くみられる系統であるが、申叔舟の本貫である高靈申氏に限っては顕著にみられる(注4)。

日本の仮名文字(カタカナ/ひらがな)より600年遅れて、パスパ文字、契丹文字を基にして作られた朝鮮の「諺文(韓字/ハングル)」は、 現在の韓国では公式には「諺文(ハングル)を定義した『訓民正音』は世宗王 一人の著作物である」とされている。しかし、実際には同書の「後序」で鄭麟趾が名前を挙げている集賢殿の学士たちの作成であるとの見方が強く、申叔舟もその一人に含まれている。『訓民正音』と対になっている『東国正韻』の序文は申叔舟が書いており、これらの作業の中心的人物であったことが窺える。 申叔舟が、1471年に著した『海東諸國紀』の日本の国俗の説明文には「男女となく皆その国字を習う。国字は『かたかな』と号す」と書かれている点からカタカナの字形がハングルに与えた影響が注目される。 彼は世祖のときに始まり成宗の代で完成した『経国大典』の編纂にもかかわっている。 また申叔舟は、その死にのぞんで成宗に「願わくば日本との和を失うなかれ」との名言を遺した。
申叔舟の先祖は、族譜によれば、もと新羅(注5)の公族(貴族)の後裔で、高麗王朝の時に地方に下り安逸戸長を務めていたといわれる。高麗王・第23代高宗(在位:1213-1259)の時、申成用(注6)が、文科に及第して正四品・檢校軍器監に任ぜられた。 高靈申氏の始祖・申成用の墓は慶尚北道高靈郡雙林面山州洞萬代山酉坐にある。これにより、子孫は「高靈(現 慶尚北道南西部)」を本貫として世居し優れた人材を多く輩出した。申叔舟もその一人である。申氏の本貫のある「高靈」はかつて、日本の領土のあった任那の「加羅」地域にあたる。

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この有名人のハプログループというサイトは、天児屋根命のY-DNAとか、天日槍命とか、誰かがふざけて申告してもISOGGは日本の事情が分からないのでそのまま載せてしまい、こんなもの信用できるかと言う批判も受けるようですが、この 申叔舟の場合は「宜寧申氏の子孫・トニー・シン(Tony Shin)ら複数名(注7)から得られたデータ」を明示してますので信頼できるものではないでしょうか。
申叔舟は自分の祖先が日系だとわかっていたようですね。
7:当世奇妙 :

2025/07/04 (Fri) 19:44:08

石見介さん
「縄文時代の喜界カルデラの爆発で、半島南部に逃れた縄文人移住者の子孫だろうと、考えています」
なるほど、ありえますね!
6:石見介:

2025/07/04 (Fri) 16:25:55

 p君さん

 75人は、サンプル数としては少なすぎます。
 古代DNAデータなら、十分ですが。
 wikiで「朝鮮民族」の項目を調べたところ、Y-D1a2は2%となっていました。
 チベット系のY-D1a1ではないようです。
 
 しかし,Y-D1a水準までの調査で、その下位のcladeまで、調査していないとかの可能性も、有りそうな気もします。

 以前、朝鮮の氏族のY-DNAを記載したものがありましたが、現在はどうなっているのやら。
 私は、渡来系弥生人=倭人=日琉語族だと考えていますが、そのY-DNAは、Y-O1b2だと考えています。
 昔のY-O2bですが、朝鮮の諸氏族中、「申」氏が、この型だったと記憶しています。
『海東諸国記』の著者が、申叔舟だったので、、記憶したのです。

 
5:p君 :

2025/07/03 (Thu) 21:51:30

石見介さん
サンプル75人で朝鮮民族のD-M64.1(縄文系)は4.0%のようです。

江上さんも、この大成洞古墳の発掘に携わった申敬澈教授も、この地下式木槨の王を北方騎馬民族「扶余(ふよ)」とされてましたが、結果的に全然違ったという事ですね。
しかし縄文系がなぜ地下式木槨墓に?と言うのが謎です。
日本でこの地下式木槨墓は発見されていませんからね。
日向の地下式横穴墓とはまた違うようですしね。

大成洞古墳の主は文化的に粛慎(みしはせ)の影響を強く受けたのかとも思います、
4:石見介:

2025/07/03 (Thu) 14:50:19

 p君さん

 情報有難うございます。
 実は、半島南部に縄文系の古代DNAが発見されたという話は、私も聞いていたのですが確認できず、ヤフー掲示板での知人の大和緑狸さんからは、古墳の主は、Y-D1a2系で、殉葬者は弥生系という情報を、得ていました。

 私や大和緑狸さんは、縄文時代の喜界カルデラの爆発で、半島南部に逃れた縄文人移住者の子孫だろうと、考えています。
 私は、朝鮮海峡の制海権を掌握していたのは、縄文系海人族だと考えており、彼らが、渡来系弥生人の列島移住を、コントロールしていたと、考えています。
 以前、韓国人のY-DNAハプロタイプ中、Y-D系統が、1~2%存在すると言うデータがあり、その解釈として、「辰韓/秦韓」人が秦の遺民だという説を、報告者が提示していましたが、その時、掲示板で縄文系ではないかと言う説が出され、当時の分類でのY-D2ではなく、Y-D1、現在のY-D1a1.つまりチベット系だと言う話になった記憶があります。

 しかし、もう一度韓国人男性のY-DNAハプロタイプの頻度の現時点での、正確なデータが知りたいですね。
 いずれにしろ、扶余系諸族は、Y-Cが主流でしょうが。

 
3:p君 :

2025/07/03 (Thu) 10:37:48

当世さん

自分もそれが頭をよぎってました。

はたまた北海道の礼文島の船泊遺跡に南方系習俗の縄文人骨(ハプロD)が見つかっていますので、縄文人は我々の想像以上に北方まで達していたのかもしれません。
2:当世奇妙 :

2025/07/03 (Thu) 08:05:18

大変興味深い情報です。
縄文系ならば、大陸から日本列島に来た石器人
の系列で朝鮮半島に居ついた人類ではないかと
予想しますが?如何でしょうか?

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